金次郎は偶像を背負って歩く

こんにちは。

 

この最初のブログを読みに来てくれたあなたは、おそらく何かで私を見つけて、私が何者なのか興味を持って探りにきた人なのではないかと思います。

 

私の100%の本心と、この一番最初を読んでくれるあなたに伝えたいことを懸命につづりますので、拙い文章ですが読んでくれると幸いです。

 

 

私がこうしてブログを書き始めたのは、自分に正直でいる時間を無理にでも作らなければいけないという焦りからです。

 

まず私は、自分以外の人間に自分の心中を打ち明け、それを多くの人にさらすことに、まったく興味がありません。米津玄師もBUMPOFCHICKENも、とても好きなのですが、その一点だけどうしても心が重なりません。

 

でも別に良いんです。自分の信じたい人が信じるものを信じれなくても、私は信じたい人を信じれる人間であるから。BUMPや米津と心が通わない部分があっても、通った部分は確かにあって、私はそこを大事にできる人間だから。別に他人と共有したいっていう気持ちがなくても、自分の思いを表現しなくても十分幸せになれるんです。

 

でも最近バイト始めたんです。いや、今のこの凋落した現状の原因となった甘い傷は、もう少し前にできたもの。今住んでいる場所を離れられればいいと、親に耳障りの良い理由にするために行きたくもない海外に半年留学することになって、3か月で鬱になって帰ってきた時から、なんだか心に違和感を覚えるようになりました。

 

妙に頭がスッキリするのです。部屋の窓を開けれず、まともに呼吸できないほどいやだった所にぬけぬけと帰ってきてしまったというのに、すごく嫌な気持ちは確かにあるのに、それに体が支配されることを心が拒むのです。

 

すごく嫌な予感が頭をよぎりました。私は、劣化してきているのではないかと。鬱になって弱ったせいで、あの出来損ないと荒廃した鉄筋コンクリートの山に心の平穏を見出してしまっているのではないかと。

 

すぐにこの場所を再び離れなければ。でないと私はすべてを捨て去り2年かけて再構築した私のなりたい私にいよいよたどり着けなくなってあああでももう金がない。

海外に行くのに300万円も借金してる。こんな状況でぬけぬけと首都圏のボロアパートで独り暮らしなんかできない。親に申し訳ない。健常者として育ててくれてありがとう、障碍者でごめんなさいって謝ったばっかりなのに。

 

とにかくバイトをするしかない。心を捨て、不愛想で人相が悪い店員として半年くらい働いて貯金して、それで独り立ちしよう。

 

という具合にバイトをいっぱい応募したのですが、私のやる気のなさがめちゃくちゃ伝わってたのか(あるいは髪を染めていたからか)、全然受かりませんでした。私の人生でここまで自分を過小評価された期間は初めてなので、そりゃあもう下限を突破してここらの人間が嫌いになりました。マジでお前らが今まで踏みしめた大地ごと沈めと思いました。

 

んでまあ1個バイト受かったんですけど、そうするとまあやっぱ懸念してはいたんですが、自分の時間が全く取れないんですよね。フルタイムで働いてるんで、もうそれがしんどくてしんどくて。ああ世の労働者が長いこと生きてる割に未熟者が多い理由はこれかと。自分自身と向き合う時間も機会も与えられないんだと。

 

私はそれまでに自分と向き合う感覚をすでに会得していたため、やろうと思えばいつでも自分自身と対話できる状況です。けどこの不快な環境で、本心から自分を構成するすべてを好きになれるとは思えない、肺にたまってる空気ですら好きになりたい私にとって、この環境だけが唯一私の前身の足を引っ張るのです。そうした理由から私は常に簡単に自分の好きな自分になることは大変難しい問題なのです。環境のせいで。私の嫌いな人間どもに自分の一番魅力的な姿を見せてやる義理も愛もないですしね。

 

さて、そうしたおかげで私は、ゆっくりと朽ち果てて立て直せなくなってゆく私の積み重ねてきた信念を、そわそわしながら眺めては、なんとかすべて腐りきる前にと労働にいそしむ人間であるのですが。

自分の時間がクソみたいな環境でクソみたいな労働に多くの時間を取られることで奪われること、そして労働時間も私の脳と細胞に嫌な傷として刻まれ続けるわけですから、そうしたクソが私の空いた心を犯していく様は、さすがに耐えられませんでした。

 

私が文章を書く理由は、毎日文章に書くことで、文章に書くことで自分自身と向き合える人間になるためです。その時間が必要だったんです。

 

さて、それをわざわざ人に見られるようにする理由です。

 

先にも述べたように、私は自分の気持ちを他人と共有するのは別にしたいと思わないし、何ならちょっと嫌まであります。じゃあなんで、なんですが、これは「今の自分が他人に好かれる魅力を持っているであろうという確信は、自分の若さに由来していると思った」からです。なんで若いうちに若い自分の姿を、魅力的な人間である様を、発信していた過去が欲しかったからです。

 

さっきツイッターで、45歳の一人暮らしのおっさんがどんぶりの上にマヨネーズかなんかと総菜を混ぜて食う幸せをかみしめながら、「45年必死で生きてきてこんなことやってるの、俺の人生何だったんだ…」と唇をかむ漫画が流れてきました。

風呂に入りながら、俺が40くらいになったとき、今と同じような感覚でいることを考え、俺は多分40くらいで魅力的に見えなくなった俺を多分心から好きになれない、俺が今俺を好きなのは、若いのに考えがある程度しっかりしてて、将来性もあってそれが俺の魅力だと思ってるからだと気づいたんです。

 

(今、一人称を「私」にしたかったことを思い出しました。)

 

そう思ったとき、自分の魅力を残すために、私が魅力的な人間に無事なれたとき、わたしはこんなに前から魅力的だったと示すため、そして魅力的になれなかったとき、私は昔はこんなに魅力的だったんだと証拠を示すために、今からみんなに見える位置に私の魅力を置いて残しておく必要があると考えました。

 

文字におこすまでだいぶ後ろめたくて気持ち悪いものがあったのですが、書いてみるとどれも案外スッキリするもんですね。ハマりそうです。

 

気づいたらもう午前1時です。パソコン画面の見過ぎで、私の長所だった天性の視力が落ちかかっているので、もう寝ないといけません。明日も傷口にくっさいクソを塗りたくられてきます。心を許したりはしません。私の心にクソを投げつけた野郎どもは絶対に許しません。

 

何か最後まで読んでくれた人にメッセージでも残そうかと最初に考えていたのですが、うんこで終わっちゃったのでどうしようもできません。私はうんこはそんなに好きじゃないので。

 

まあ明日以降の話でも、私は自分が信じられない言葉は書かないので、これ以降の文章で「いいな」と思った言葉や話があれば、それは素直に信じてくれてもいい、少なくとも私はあなたの信頼に足る人物であると、そう信じていますので、信じたかったらいつでも気軽に信じてください。嫌いになったらいつでも嫌いになってください。

 

子供みたいなまま遊び疲れて

それじゃあまた明日。